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JR / 阪神西九条駅を降りて南の方へ向かうと安治川の堤防沿いに、いかにも昭和にできたであろう建物が聳えている。安治川沿いの道を渡って建物の前に来ると、でっかいエレベーターがある。

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ひっきりなしにエレベーターが上下して、その度に歩行者と自転車がエレベーターから降り、地上で待っていた歩行者と自転車がエレベーターに乗る。十数秒のエレベーターが降りた先には細い歩行者用のトンネルが続いている。これが戦中にできて今に残る、安治川隧道(トンネル)。

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先日ちょっと大阪で時間が空いたので、久しぶりに見に行ってきました。日本初の沈埋式トンネルであり、地上とトンネルの間はエレベーターで移動するという、現在ではほとんど見られない形式のトンネル。昭和の土木遺構とも言えるモノを同行者にも見せておきたかったこともありました。




十数秒のエレベーターから降りたトンネル内はひんやり涼しく、梅雨時の外界の暑さから逃れて一息入れられる空間。川の底にあるトンネルだから涼しいのも当然だが、逆に言えば川底であることを実感できる気温でもあります。

地上とトンネルを結ぶエレベーターの幅広さに比べると歩行者用トンネルは狭いので、自転車は押して歩くことになっています。反対側のエレベーターに乗って地上に出て戻ってくるまで、たくさんの自転車に遭遇したが、皆ちゃんと守っていました☺️

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というのも、トンネルの中にはパトロールのおっちゃんが常にいて声がけしつつ、気をつけて見ているので皆んな、おいたなことはしないようです。薄暗いトンネルですから、警備員がいるだけでも安心感が違いますね。

エレベーターは朝6時から24時まで、それ以外の深夜〜未明はエレベーター横の階段を登り降りすることになるので、自転車は通行できません。

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ちなみにこの安治川隧道、元々は自動車も利用できていました。自動車も歩行者・自転車と同じようにエレベーターで地上とトンネルを行き来していたというのだから、ビックリというか、自動車がエレベーターで登り降りしてトンネルを通っていたのを見たかったなぁ、と思います(昭和50年代に自動車通行は廃止)。

その自動車用のエレベーターの跡は歩行者・自転車用エレベーターの横に、完全に閉ざされた形で残されていますが、エレベーターの上下移動表示やボタンが往時を忍ばせます⬇️

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昔は中之島の西の末端、堂島川と土佐堀川が合流した先の下流側には橋がなく、今の此花区と西区はお向かいなのにグルッと大回りしないと行き来できなかったわけで、それを解消するために橋を架けようにも、河口付近にあるので船の行き来があって、それをクリアするだけの高さの橋を当時は架けられなかった経緯がありました。

その結果として採用されたのが沈埋工法による川底トンネル。川の両岸にトンネルへの長い坂を作る余裕もなく、地上とトンネルの間はエレベーター移動という形になったようです。いやぁ、自動車がエレベーターで行き来する様子は見たかった〜(大事なことなので2回目)。

自動車用のエレベーターは登り用エレベーターと降り用エレベーターがそれぞれ別に2台あったわけですから、それが行き来してひっきりなしに車が行き交う、エレベーター待ちの渋滞がきっと発生していたでしょう。今では想像もつかない話です。

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この安治川隧道の 1km 下流側にある国道43号線の安治川大橋が開通したことから役割を終えたと判断されて自動車通行は廃止されたわけですが、今でも安治川にかかる橋は少ないため、此花区〜西区間で歩行者自転車が安治川を渡るにはこのトンネルが非常に大きな役割になっています。

上流側の橋は 1.5km 以上先の、中之島の末端の堂島川と土佐堀川が合流する地点の船津橋〜端建蔵橋までありませんし、今は端建蔵橋が架け替え中なので、さらに東の新なにわ筋の上船津橋〜湊橋までありません。下流側も1km 先の国道43号線・安治川大橋しかのは今も変わらず(その先は阪神高速湾岸線の天保山大橋だけ)。

上流も下流も 1km 先までいかないと安治川を渡られないとなれば、そりゃこの安治川隧道を行き交う歩行者自転車が多いのも納得でした。