やっぱり地元 #花火 🎆はええやね。打ち上げ場所は1ヶ所しかないし、玉数も多くない上、派手な仕掛けも大玉もない。でも近いし、混まないし、みんなマッタリしてるし、KY📷野郎もいない。落ち着く。 pic.twitter.com/Of7Cgeph6a
— Double H / だぶる☆えっち (@dh_com) August 8, 2024
今日は写真ではなく、先日の地元花火大会をスマホで撮った動画を。
本ブログサービスに動画はアップロードできないので
Twitter / X に載せた動画を埋め込みにて。
トンネルを抜けると、そこは #花火 🎆だった pic.twitter.com/E4A9TCttiC
— Double H / だぶる☆えっち (@dh_com) August 8, 2024
同時期にある「なにわ淀川花火大会」や「びわ湖大花火大会」といった
大規模有名花火大会とは全く趣は異なり、規模も雰囲気も小ぢんまりとした、
田舎のちょっとした花火大会感、それは今も昔も変わらない。
今どき当たり前になった音楽との連動もなければ、凝った演出、花火もない。
戦後の早い時期から続く関西の花火大会でも歴史ある花火大会だが、
往年の昭和の花火大会っぽさが令和の時代も変わることなく続いているような、
でも今はそれがとても心地良く感じる。
花火そのもののコストに警備コスト、それらの費用が爆上がりする反面、
スポンサー集めに苦労するのはどこでも同じ。
地震にコロナ禍で、地元の花火大会も復活が危ぶまれた時期もあった。
それでも、昔どおり、お金を払わないと近くで見られないなんてこともなく、
ましてや有料観覧席のチケットを持っていない人は観に来るな、なんて言わない。
地元民が打ち上げ時刻が近づいたら三三五五、マッタリと見に集まる。
もしくは自宅近所の花火が見える場所でジュース、ビール片手で眺める。
地味で小ぢんまりだけど、古き良き花火大会。
年齢を重ねて人混みと長時間の待ち時間が辛くなると余計に好ましく感じる。
やっぱり地元 #花火 🎆はええやね。打ち上げ場所は1ヶ所しかないし、玉数も多くない上、派手な仕掛けも大玉もない。でも近いし、混まないし、みんなマッタリしてるし、KY📷野郎もいない。落ち着く。 pic.twitter.com/Of7Cgeph6a
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打ち上げ開始が近づく時間、熱暑が多少マシになったところで出発。
どこで見ようかとチャリンコを走らせながら考え、
自転車を含めた通行規制のあるエリアを通るのは嫌だから……
と思っていたけど、気がつけば打ち上げ場所のすぐ近くまで来ていたので
結局、指定駐輪場へ止めて打ち上げ場所付近の見学エリアへ。
持っていきたのはスマホ一つ、iPhone 15 Pro Max のみ。
カメラは最初から持ってくる気もなかったし、写真を撮る気もなかった。
正直言ってもう、花火写真は食傷気味。
いや気味じゃない。
正確にいえば、派手に画面いっぱいに花火が詰め込まれた、
いかにも目を惹く花火写真にはちょっとウンザリ。
もちろん、花火写真を頑張って撮っている方々をどうこう言うつもりはない。
あくまで「個人の感想」に過ぎないけれど、
もうね、この時期になると SNS に映える花火写真が乱舞することになる。
それが毎年毎年続くと、さすがに飽きてくる。
長時間露光も、多重露光も、比較明合成も楽勝な昨今だから判るけれども、
ぶっちゃけ言えば大差ない、変わり映えしないモノばかりから尚更。
まぁ猫も杓子も撮れる時代になった最初の頃にやっていたのが自分だから
他人のことは全く言えないので他人にとやかくは言わないけれど、
もう花火写真を見ても何も感じるところは無くなってしまった。
そして最近思うのは、花火はやっぱり動画が良い。
何事にも「写真には写真の良さがある」と思っているけれど、
花火は動画の方がその派手さも地味さも技巧も、自然に感じられる。
そして、動画でも一般観客が片手に掲げたスマホで撮ったモノが良い。
見てる人の感嘆の声、拍手、花火の音、遠く聞こえるアナウンス。
花火会場の雰囲気が伝わる。
花火会場じゃない遠くからの花火動画もまた良いし、
近くを通った電車や飛行機の中から花火が見えているのを撮った動画も良い。
車内や機内から見てる人たちの心が伝わってくる。
写真撮影用エリアで三脚に据えて高画質カメラで撮ったものは綺麗だけど、
花火大会の雰囲気ってのはあまり伝わってこない。
人の匂い、思いが伝わってこないから、今の自分にはどこか物足りない。
と、ここまで書いてきて、ようやく自分で自分に気がついた。
花火写真/動画じゃなくて
花火大会の写真/動画が好き
なんだと。
花火そのものを見る、眺めるのは肉眼だけで良いのだと。
(iPhone 15 Pro Max)
いや気味じゃない。
正確にいえば、派手に画面いっぱいに花火が詰め込まれた、
いかにも目を惹く花火写真にはちょっとウンザリ。
もちろん、花火写真を頑張って撮っている方々をどうこう言うつもりはない。
あくまで「個人の感想」に過ぎないけれど、
もうね、この時期になると SNS に映える花火写真が乱舞することになる。
それが毎年毎年続くと、さすがに飽きてくる。
長時間露光も、多重露光も、比較明合成も楽勝な昨今だから判るけれども、
ぶっちゃけ言えば大差ない、変わり映えしないモノばかりから尚更。
まぁ猫も杓子も撮れる時代になった最初の頃にやっていたのが自分だから
他人のことは全く言えないので他人にとやかくは言わないけれど、
もう花火写真を見ても何も感じるところは無くなってしまった。
ラストを前に少しずつ #花火 🎆会場付近から離脱して、駐輪場へ帰る途中で眺め、ラストは既に会場周辺から離脱して少し離れた穴場?から見学。良い夏の夜だった。南海道地震が来たら、ウチのボロ家は壊れて生きてるかどうか分かんないから見納めかもしれん(マジで pic.twitter.com/dpQcN1mrYc
— Double H / だぶる☆えっち (@dh_com) August 8, 2024
そして最近思うのは、花火はやっぱり動画が良い。
何事にも「写真には写真の良さがある」と思っているけれど、
花火は動画の方がその派手さも地味さも技巧も、自然に感じられる。
そして、動画でも一般観客が片手に掲げたスマホで撮ったモノが良い。
見てる人の感嘆の声、拍手、花火の音、遠く聞こえるアナウンス。
花火会場の雰囲気が伝わる。
花火会場じゃない遠くからの花火動画もまた良いし、
近くを通った電車や飛行機の中から花火が見えているのを撮った動画も良い。
車内や機内から見てる人たちの心が伝わってくる。
写真撮影用エリアで三脚に据えて高画質カメラで撮ったものは綺麗だけど、
花火大会の雰囲気ってのはあまり伝わってこない。
人の匂い、思いが伝わってこないから、今の自分にはどこか物足りない。
と、ここまで書いてきて、ようやく自分で自分に気がついた。
花火写真/動画じゃなくて
花火大会の写真/動画が好き
なんだと。
花火そのものを見る、眺めるのは肉眼だけで良いのだと。
(iPhone 15 Pro Max)