某所の煽りタイトルを真似てみましたが、別に煽るつもりもなく、良いタイトルが浮かばなかっただけで。
いよいよ国内発売を明日に控え、iPad版 AppStore も開店し、iBooks アプリ配布も始まり(現時点で iBookStore は日本語書籍が皆無ですが)、独自の電子書籍アプリのリリースも次々と出てきて、まさに発売前夜。昨日からは国内版レビュー記事も解禁になって、IT系サイトのみならず一般ニュースサイトまで、たくさんのレビュー記事が氾濫している。
そんな中で、もはや私が書くこともないのですが、手元に iPad が来てから1ヶ月弱、自分の中での iPad のポジションが決まりつつあるので、そこらへんのことを軽く書いてみようかと。
さすがに1ヶ月近くも使っていると、既に新しさへの興奮は過ぎ去り、この先の可能性は色々考えられるにせよ、ひとまずは既に手元に数あるデジタルデバイスの一つに過ぎなくなりつつある。逆に言えば、すっかり“あるのが当たり前”になっているとも言える。
手元にあるのが自然になり、他のデバイスと共存しつつ、使う場面がある程度決まってきた今、「私にとって iPad とは何だったのか?どうなったのか?」みたいな感じで、一区切りつけてみようと思う。
しばらく使ってきて思うのは、つくづく
だなぁ…と。こう言うと語弊があるが「だらけ用デバイス」。
堕落用デバイス、とまで言うと誤解を招きかねないし、だらけ用でも十分誤解されるが、とにかく使っていて構えなくて済む。
なんというか、
と感じる。それだけに、ややもすると引き込まれすぎて暗黒面に落ちる?可能性もある(後述)。
何度も過去記事で述べているように、iPad (および今後たくさん出てくるであろうタブレットデバイス)は現状、パソコンがあって携帯電話があって、その間に位置する隙間デバイス。そういった存在を実際使ってみて、自分の生活の中でどういうポジションを占めるかは、自分でも興味があった。
そして、誰しも使ってみて最初に感じるであろうことは、十分予測でき得ることではあるが
であるということ。予測出来ていたとしても、使えば改めて実感する。
「何かを作る」という点では、ハードウェア・キーボードがあるなし関係なく、現状タブレットで何かを作ることに適したアプリ(アイデア)が存在しないゆえ、パソコン(ノートPC)に到底敵わない。
逆に言えば、タブレットデバイスにおいて生産性を上げる何かを見つければ、大きく変わる可能性はある。ただ、今はそれを誰も見いだせないでいるし、今後発見されるかどうかは判らない。そして、見えない先を論じていても仕方ない。現時点での話だ。
反面、ビデオや写真、電子書籍を見る、ネットをブラウズする、という点においてはノートPC より楽にできる。指先ひとつでコントロールできることもそうだが、「ノートPC と違って構えなくて済む、自分のポジションが自由になる」という点が大きい。
そういう点ではスマートフォンに近いが、サイズが大きいゆえに制限もある反面、表示の大きさがスマートフォンより楽である場合も多々ある。
そして、自由なポジションで使うことができるということは、即ち心身ともに楽な体制で使うことができるということを意味する。つまり、ありきたりな言葉で言えば、
と言える。少なくとも自宅で使う分に関しては、この言葉通りであると思う。
しかし、次第に iPad に慣れてくると、このことが少し変わってきた。
最初の1週間は「オンのノートPC、オフの iPad」的な、誰しも予想できるポジションにあって、自然とパソコン(特にモバイル特化PC である MacBook Air や VAIO P)や iPhone と住み分けが確立されていたのだが、ある時を機に、その住み分けが崩れた。
そして、その結果
ということだった。これには使ってきた本人が、一番予想外だった。
「おめー、この前書いた記事(iPad はノートPC 代わりになるか?何が出来るのか?何に使えるのか?)と言ってること、違うじゃねーか!」
と言われそうだが、その時に書いた「ノートPC の代わりにはなりません。終了!」という結論は何も変わってない。少なくとも
というのは、今も何も変わっていない。
ただ、iPad を使って便利、楽な場面を探しながら使っていくと、デスクトップPC、ノートPC(モバイル用PC)、スマートフォン(iPhone)という領域のうち、一番侵食していたのはモバイルPC の部分であったことに気づく。
人それぞれのコンピューター利用スタイルに依存するので、あくまで私個人の話ではあるが、出先で
・ウェブブラウズ(twitter や RSS リーダー含む)
・メール処理
・書類作成があってもアウトライン作成や草稿レベル
という、これらの作業だけならば「iPad で十分だわ…」と気づいた頃から、それまで毎日のように MacBook Air を持ち歩いていたのが、急に iPad 携行率が高くなった。
日帰り出張レベル、さらに出先で別段作業がなくても(打ち合わせ程度でも)今までは汎用的なノートPC を持って出なければ不安で仕方なかった。これはもう長年染み付いた強迫観念みたいなもので、判っちゃいるけど止められないものであった。
色々な工夫をして PDA だけで出てみるとかやってみたことはあるが、結局ノートPC は手放せなかった。ほとんどは重りになっていたとしても、あるだけで「急なトラブルでも対処可能」「何かあっても安心」だった。
しかし、今回ふと思い切って iPad だけで出るようにして、さらに東阪間の軽い出張に出てみれば、行き来にノートPC でやっていたことの大半がこなせるし、何よりも楽。
もちろん、出先で汎用的な PC を必要とする作業があれば別だが、そうでなければ iPad で全然問題ないことに今さら気付かされた。更に言えば、ウェブブラウズなんかは元々モバイルノートPC よりも縦画面表示可能な iPad の方がずっと楽だしね…
また、MacBook Air を持ち出す時だけでなく、今までプライベートで出かける時にあった「MacBook Air を持ち出すほどじゃないけど、念のためにパソコンを持って行きたいから VAIO P を」というシーンも、特定条件を除いて iPad に置き換わった。
VAIO P は極めて小さいサイズ&iPad より軽い重量の割には優れたハードウェアキーボードを備えるデバイスで、携行タイピングマシンとしては素晴らしいものがあるが、高精細すぎる液晶画面はブラウジング手段としては、なかなか辛い。特に徐々に歳を重ねつつある現在、10代20代と同じ感覚でいられないから、余計に iPad を選びたくなる。
VAIO P との比較では液晶画面が高精細すぎる点だけでなく、超横長の画面より縦画面が使える iPad に色々な面で軍配が上がるし、操作性とバッテリーの保ちが雲泥の差だということもある。
だからといって VAIO P は今でも大好きな愛機だし、そのサイズは重量級レンズ・カメラをカメラバッグに入れて持っていく際に、バッグの隅に突っ込める良さがあるから、手放すことはしない。それどころか VAIO P のキーボードの良さを考えると
■ 動画:ネットブックをiPadのキーボードにする USB Duet技術
これで iPad の良い相棒になってくれれば面白いな、とすら思っている。Bluetooth キーボードを持っていく代わりに VAIO P。汎用PC でもあるし、このペアは良いかもしれない。
少し話は逸れたが、iPad に慣れて、ある瞬間からノートPC、特にモバイルノートPC を使っていた領域を iPad が侵食し始めた。
ただ、何度も書くけれど、iPad はそのままノートPC の代わりにはならない。それでも、先に書いたようにノートPC でできることの一部なら問題なくこなすし、場合によっては楽になるということだ(重量的にも)。
実際に使ってみて実感するのは、Jobs が iPad 発表時に言ったように、ネットブックの本来用途として想定した領域については、まさしく代替できるし、快適でもあるということ。もちろん、タイピングのように慣れを必要とする部分はあるけれど、ネットブック的利用は、まさに iPad のためにあり、タブレットデバイスが置き換わっていく分野だろう、と。
そんなノートPC とは逆に、
通勤電車や肩を触れ合わせて使うようなロングシートに座って使うようなデバイスではないし、少なくとも 10インチ近い大きさと、そこそこの重量のある iPad は寝モバには、あまり向かない。寝モバは一度試して、即諦めた。
特急電車や新幹線、飛行機内といったシーンでは iPad が活躍できるのだが、これも iPhone で使っていたシーンの置き換えというよりは、ノートPC を開いていたシーンの置き換えと言える。
バッテリーの保ちは(ノートPC や iPhone に比べて)気にしなくて良いし、ノートPC と違って取り出して作業する時の敷居が低い感じもある。スマートフォンほどではないが、サッと取り出して使える感覚は、ノートPC より遥かに大きい。
また、飛行機の普通席などのように、前席との兼ね合いでノートPC の液晶を大きく開くことが難しい場合もあるが、iPad なら液晶を開いたりすることもない。ポジションの自由度がそういう場面では生きる。
ところが iPhone を使っていたシーンは、iPad を手にしてもやはり iPhone であることがほとんどだった。あるとすれば、自宅でマッタリしながら使うデバイスは iPhone より iPad になったけれど、私の場合は全体としてその時間は小さい。
iPhone と iPad で区切りは、「寝モバは iPhone だけど、ソファやデイベッドでは iPad」という程度で、iPhone を使うかも?なシーンで iPad に置き換わったのはそれくらい。
まぁ、私の場合は、自宅でもパソコンの前にいる時間が非常に多いので、一般的ではないかもしれないが…
そんなわけで、1ヶ月弱使ってきた iPad は「iPhone とはほとんど競合せず、モバイルノートPC を使っていた領域をいささか侵食した」というものだった。当初考えていたのとは、ちょっと違ったかもしれない。
ちなみに電子書籍に関しては、iBooks が出る前に「i文庫HD」や「CloudReaders pdf,cbz,cbr」といったアプリで、想像していた以上の快適さを垣間見ることはできて、当初は iPad における電子書籍の未来に興奮したけれど、それでもやっぱり当分は書籍の本を買うし、コミックを買うだろうと思う。
少なくとも純正 iBookStore や Kindle には、まだ何も来ていないし、既にサードパーティーの電子書籍はいくつか始まってるが、「マガストア」の iPad版が相変わらずの使いづらさ&値段であったり、新刊でもない「サラリーマン金太郎」の iPad版コミックを1冊450円で売ってるようなスタートでは
と思わざるをえない。旧本を古本屋よりずっと高い値段で売ってたら、買う人は限られるだろうに、その辺がまだ判ってないのかと。
まぁ国内の電子書籍に関しては今日 SONY Reader の国内発表をいくつかの企業を巻き込んでやっているし、まだまだ不透明なところはありそうだ。なにせ、
という前例もあるわけだしね。
電子書籍に関しては審査問題があるから Apple 純正 iBookStore がベストとは全く思わないが、今の買いたい書籍・雑誌によって別アプリで管理して読んで、購入はそれぞれ登録が必要で…というのは、全く正常な状態とは思えないしねぇ。
■ ソニー、KDDI、凸版印刷、朝日新聞が電子書籍配信で新会社 年内開始へ
また、今日未明にリリースされた「産経新聞HD」のように iPhone 時代では見せびらかし以外に役に立たなかったものが、実用的に使えるなぁ…とは感じるのだけれども、単独で良いものが有ったとしても、iPad の電子書籍はまだユーザーニーズからは程遠い存在だ。
ちなみに「産経新聞HD」に関しては、紙面と比較してもかなり実用的かつ紙面と同じような読み方が可能なので有料化は当然だと思うが、月額1,500円は微妙すぎる。月額千円未満、もしくは駅売りと同じく1部105円が可能だったら話は違ったように思う。
というわけで、結局1ヶ月弱使ってきて、私にとって iPad が落ち着いた先は
みたいになってきてしまっている。ホント予想外。
ただ、こうなるには「ノートPC を持って出ずに iPad だけで良いんじゃね?」ということに気づくキッカケが必要。逆に言えば、
を自分に問うて見る必要がある。ここを誤ると、iPad 使えねー的な負のスパイラルに陥りやすい。加えて、
である。タイミングを間違うと、やっぱり iPad 使えねーになるかもしれない。
ちなみに、iPad のタイピングのコツは、ただ一つ。
ということ。
最初は「iPad は横スタイルだとキーボードが普通のキーボードと変わらないサイズで快適です」的な謳い文句に騙されて、横スタイルで普通のキーボード感覚でタイプしようとしていたが、それだとミスタッチによる誤入力がやたら多くなってストレスが溜まりまくる。
ハードウェア・キーボードでなくタッチパネルによるソフトウェア・キーボードゆえ、普通のキーボード感覚だと、つい打鍵しない指もキーの上に下ろしてしまいがちになるが、それで誤入力が頻発することになる。
こちらも、ある時「横じゃなく縦画面でタイプしてみよう」と思って縦画面でタイプし始めたら、横幅の狭い縦画面のキーボードだと必然的に2〜4本指打法になり、タイピング速度そのものはやや落ちるものの、誤入力が減って結果的に速く、そしてストレスも減った。
おまけに縦画面の方が画面が広く使えるので、最近は横画面での文章入力はほとんどせず、もっぱら縦画面を使っている。そして、タイピングに慣れて、ちょっとくらいのメールの返事や、書類の草稿書き、アイデアまとめくらいはできるようになってくると、一気に iPad の実用化?が進む。
そして、iPad の携行率が高くなり、MacBook Air や VAIO P の携行率がグッと下がることになった…
ただ、iPad の携行率が高くなって「そういや、MacBook Air をしばらく持ち出してないなぁ」と気づいた時に、もう一つの重要なことに気づいた。
これは別に iPad が悪いということではなく、純粋に自分自身の問題でもあるが、先にも書いた ON と OFF というか、iPad のリラックス感、悪い言い方するとダラけても使える道具ゆえに、そちらへ引きずられがちな自分がいた。
なんというか、ノートPC ではなく iPad を使っていると、やはり
のである。OFF から ON に切り替える、そんな瞬間が。
iPad は楽である。ノートPC でできることの多くができるわけじゃないが、一部は十分代替できることも判った。だけど、iPad は楽に使えて、自由なポジションで使えて、構えずに使えるからこそ、OFF → ON の切り替えを求める瞬間もない。
新幹線の中で、カフェで、ちょっとした時間にノートPC を開く瞬間が iPad に変わることで楽になったのは、そんなところの違いがあったのかもしれない。そんなことに、つい先日気づいた。
これはあくまで、超個人的な iPad 感であり、iPad とノートPC との差に関する体感である。自分が気をつければ済むことだし、今後は変わっていくかもしれない。
ただ、この1ヶ月 iPad を使ってきて、iPad を使うシーンが広がって、一番大きく感じたのがやっぱり
ということだった。そして「iPad は本来 OFF の精神をもったデバイスでもあるのだな」とも。
さて、最後に1ヶ月使ってきて「iPad が必要かどうか?」という結論。
そんな感じ。
手元にはデスクトップPC もノートPC もネットブックも何台もある。そして iPhone もある。だから他人の参考にはならないだろうけれど、それでも「iPad は、もはや必需品だ」なんて、口が裂けても言えない。
なくて困るのは iPad ではなく MacBook Air であり iPhone。
iPad はなかったらなかったで、何とでもなる。iPad しか適当なデバイスがない電子書籍に、ある程度依存するようになれば別だろうが、今はそんなこともないから、別に iPad である必要な作業はどこにもない。
それでも、一度このデバイスを手にすると、iPad で楽にできることを知ると、やはり手放したくなくなる。
だから、やっぱりパソコンとスマートフォンに続く、第三の存在。良くも悪くも、予想した通り。そして、この先どうなっていくのかが楽しみである。
いよいよ国内発売を明日に控え、iPad版 AppStore も開店し、iBooks アプリ配布も始まり(現時点で iBookStore は日本語書籍が皆無ですが)、独自の電子書籍アプリのリリースも次々と出てきて、まさに発売前夜。昨日からは国内版レビュー記事も解禁になって、IT系サイトのみならず一般ニュースサイトまで、たくさんのレビュー記事が氾濫している。
そんな中で、もはや私が書くこともないのですが、手元に iPad が来てから1ヶ月弱、自分の中での iPad のポジションが決まりつつあるので、そこらへんのことを軽く書いてみようかと。
さすがに1ヶ月近くも使っていると、既に新しさへの興奮は過ぎ去り、この先の可能性は色々考えられるにせよ、ひとまずは既に手元に数あるデジタルデバイスの一つに過ぎなくなりつつある。逆に言えば、すっかり“あるのが当たり前”になっているとも言える。
手元にあるのが自然になり、他のデバイスと共存しつつ、使う場面がある程度決まってきた今、「私にとって iPad とは何だったのか?どうなったのか?」みたいな感じで、一区切りつけてみようと思う。
しばらく使ってきて思うのは、つくづく
ノートPC と違って、楽な気分で使えるデバイス
だなぁ…と。こう言うと語弊があるが「だらけ用デバイス」。
堕落用デバイス、とまで言うと誤解を招きかねないし、だらけ用でも十分誤解されるが、とにかく使っていて構えなくて済む。
なんというか、
ノートPC と同じことをしていても
根本的に向き合う姿勢が違う
根本的に向き合う姿勢が違う
と感じる。それだけに、ややもすると引き込まれすぎて暗黒面に落ちる?可能性もある(後述)。
何度も過去記事で述べているように、iPad (および今後たくさん出てくるであろうタブレットデバイス)は現状、パソコンがあって携帯電話があって、その間に位置する隙間デバイス。そういった存在を実際使ってみて、自分の生活の中でどういうポジションを占めるかは、自分でも興味があった。
そして、誰しも使ってみて最初に感じるであろうことは、十分予測でき得ることではあるが
生産のためのデバイスではなく、消費のためのデバイス
であるということ。予測出来ていたとしても、使えば改めて実感する。
「何かを作る」という点では、ハードウェア・キーボードがあるなし関係なく、現状タブレットで何かを作ることに適したアプリ(アイデア)が存在しないゆえ、パソコン(ノートPC)に到底敵わない。
逆に言えば、タブレットデバイスにおいて生産性を上げる何かを見つければ、大きく変わる可能性はある。ただ、今はそれを誰も見いだせないでいるし、今後発見されるかどうかは判らない。そして、見えない先を論じていても仕方ない。現時点での話だ。
反面、ビデオや写真、電子書籍を見る、ネットをブラウズする、という点においてはノートPC より楽にできる。指先ひとつでコントロールできることもそうだが、「ノートPC と違って構えなくて済む、自分のポジションが自由になる」という点が大きい。
そういう点ではスマートフォンに近いが、サイズが大きいゆえに制限もある反面、表示の大きさがスマートフォンより楽である場合も多々ある。
そして、自由なポジションで使うことができるということは、即ち心身ともに楽な体制で使うことができるということを意味する。つまり、ありきたりな言葉で言えば、
オンな状態で使う(使わざるを得ない)ノートPC
オフの状態で使える iPad
オフの状態で使える iPad
と言える。少なくとも自宅で使う分に関しては、この言葉通りであると思う。
しかし、次第に iPad に慣れてくると、このことが少し変わってきた。
最初の1週間は「オンのノートPC、オフの iPad」的な、誰しも予想できるポジションにあって、自然とパソコン(特にモバイル特化PC である MacBook Air や VAIO P)や iPhone と住み分けが確立されていたのだが、ある時を機に、その住み分けが崩れた。
そして、その結果
想像以上にモバイルノートPC の領域を iPad が食ってる
ということだった。これには使ってきた本人が、一番予想外だった。
「おめー、この前書いた記事(iPad はノートPC 代わりになるか?何が出来るのか?何に使えるのか?)と言ってること、違うじゃねーか!」
と言われそうだが、その時に書いた「ノートPC の代わりにはなりません。終了!」という結論は何も変わってない。少なくとも
ノートPC の代わりとして買うべきものではないし
ノートPC の代用品として買うと現状は「使えねー」な結論になりがち
ノートPC の代用品として買うと現状は「使えねー」な結論になりがち
というのは、今も何も変わっていない。
ただ、iPad を使って便利、楽な場面を探しながら使っていくと、デスクトップPC、ノートPC(モバイル用PC)、スマートフォン(iPhone)という領域のうち、一番侵食していたのはモバイルPC の部分であったことに気づく。
人それぞれのコンピューター利用スタイルに依存するので、あくまで私個人の話ではあるが、出先で
・ウェブブラウズ(twitter や RSS リーダー含む)
・メール処理
・書類作成があってもアウトライン作成や草稿レベル
という、これらの作業だけならば「iPad で十分だわ…」と気づいた頃から、それまで毎日のように MacBook Air を持ち歩いていたのが、急に iPad 携行率が高くなった。
日帰り出張レベル、さらに出先で別段作業がなくても(打ち合わせ程度でも)今までは汎用的なノートPC を持って出なければ不安で仕方なかった。これはもう長年染み付いた強迫観念みたいなもので、判っちゃいるけど止められないものであった。
色々な工夫をして PDA だけで出てみるとかやってみたことはあるが、結局ノートPC は手放せなかった。ほとんどは重りになっていたとしても、あるだけで「急なトラブルでも対処可能」「何かあっても安心」だった。
しかし、今回ふと思い切って iPad だけで出るようにして、さらに東阪間の軽い出張に出てみれば、行き来にノートPC でやっていたことの大半がこなせるし、何よりも楽。
もちろん、出先で汎用的な PC を必要とする作業があれば別だが、そうでなければ iPad で全然問題ないことに今さら気付かされた。更に言えば、ウェブブラウズなんかは元々モバイルノートPC よりも縦画面表示可能な iPad の方がずっと楽だしね…
また、MacBook Air を持ち出す時だけでなく、今までプライベートで出かける時にあった「MacBook Air を持ち出すほどじゃないけど、念のためにパソコンを持って行きたいから VAIO P を」というシーンも、特定条件を除いて iPad に置き換わった。
VAIO P は極めて小さいサイズ&iPad より軽い重量の割には優れたハードウェアキーボードを備えるデバイスで、携行タイピングマシンとしては素晴らしいものがあるが、高精細すぎる液晶画面はブラウジング手段としては、なかなか辛い。特に徐々に歳を重ねつつある現在、10代20代と同じ感覚でいられないから、余計に iPad を選びたくなる。
VAIO P との比較では液晶画面が高精細すぎる点だけでなく、超横長の画面より縦画面が使える iPad に色々な面で軍配が上がるし、操作性とバッテリーの保ちが雲泥の差だということもある。
だからといって VAIO P は今でも大好きな愛機だし、そのサイズは重量級レンズ・カメラをカメラバッグに入れて持っていく際に、バッグの隅に突っ込める良さがあるから、手放すことはしない。それどころか VAIO P のキーボードの良さを考えると
■ 動画:ネットブックをiPadのキーボードにする USB Duet技術
これで iPad の良い相棒になってくれれば面白いな、とすら思っている。Bluetooth キーボードを持っていく代わりに VAIO P。汎用PC でもあるし、このペアは良いかもしれない。
少し話は逸れたが、iPad に慣れて、ある瞬間からノートPC、特にモバイルノートPC を使っていた領域を iPad が侵食し始めた。
ただ、何度も書くけれど、iPad はそのままノートPC の代わりにはならない。それでも、先に書いたようにノートPC でできることの一部なら問題なくこなすし、場合によっては楽になるということだ(重量的にも)。
実際に使ってみて実感するのは、Jobs が iPad 発表時に言ったように、ネットブックの本来用途として想定した領域については、まさしく代替できるし、快適でもあるということ。もちろん、タイピングのように慣れを必要とする部分はあるけれど、ネットブック的利用は、まさに iPad のためにあり、タブレットデバイスが置き換わっていく分野だろう、と。
そんなノートPC とは逆に、
思っていたより競合しなかったというか
侵食しなかったのが iPhone を使うシーン
侵食しなかったのが iPhone を使うシーン
通勤電車や肩を触れ合わせて使うようなロングシートに座って使うようなデバイスではないし、少なくとも 10インチ近い大きさと、そこそこの重量のある iPad は寝モバには、あまり向かない。寝モバは一度試して、即諦めた。
特急電車や新幹線、飛行機内といったシーンでは iPad が活躍できるのだが、これも iPhone で使っていたシーンの置き換えというよりは、ノートPC を開いていたシーンの置き換えと言える。
バッテリーの保ちは(ノートPC や iPhone に比べて)気にしなくて良いし、ノートPC と違って取り出して作業する時の敷居が低い感じもある。スマートフォンほどではないが、サッと取り出して使える感覚は、ノートPC より遥かに大きい。
また、飛行機の普通席などのように、前席との兼ね合いでノートPC の液晶を大きく開くことが難しい場合もあるが、iPad なら液晶を開いたりすることもない。ポジションの自由度がそういう場面では生きる。
ところが iPhone を使っていたシーンは、iPad を手にしてもやはり iPhone であることがほとんどだった。あるとすれば、自宅でマッタリしながら使うデバイスは iPhone より iPad になったけれど、私の場合は全体としてその時間は小さい。
iPhone と iPad で区切りは、「寝モバは iPhone だけど、ソファやデイベッドでは iPad」という程度で、iPhone を使うかも?なシーンで iPad に置き換わったのはそれくらい。
まぁ、私の場合は、自宅でもパソコンの前にいる時間が非常に多いので、一般的ではないかもしれないが…
そんなわけで、1ヶ月弱使ってきた iPad は「iPhone とはほとんど競合せず、モバイルノートPC を使っていた領域をいささか侵食した」というものだった。当初考えていたのとは、ちょっと違ったかもしれない。
ちなみに電子書籍に関しては、iBooks が出る前に「i文庫HD」や「CloudReaders pdf,cbz,cbr」といったアプリで、想像していた以上の快適さを垣間見ることはできて、当初は iPad における電子書籍の未来に興奮したけれど、それでもやっぱり当分は書籍の本を買うし、コミックを買うだろうと思う。
少なくとも純正 iBookStore や Kindle には、まだ何も来ていないし、既にサードパーティーの電子書籍はいくつか始まってるが、「マガストア」の iPad版が相変わらずの使いづらさ&値段であったり、新刊でもない「サラリーマン金太郎」の iPad版コミックを1冊450円で売ってるようなスタートでは
日本の電子書籍は当面は期待できないか
長い目で見ざるをえないのかなぁ…
長い目で見ざるをえないのかなぁ…
と思わざるをえない。旧本を古本屋よりずっと高い値段で売ってたら、買う人は限られるだろうに、その辺がまだ判ってないのかと。
まぁ国内の電子書籍に関しては今日 SONY Reader の国内発表をいくつかの企業を巻き込んでやっているし、まだまだ不透明なところはありそうだ。なにせ、
着うた市場を守るために iTunes Store の国内楽曲が歯抜け状態
という前例もあるわけだしね。
電子書籍に関しては審査問題があるから Apple 純正 iBookStore がベストとは全く思わないが、今の買いたい書籍・雑誌によって別アプリで管理して読んで、購入はそれぞれ登録が必要で…というのは、全く正常な状態とは思えないしねぇ。
■ ソニー、KDDI、凸版印刷、朝日新聞が電子書籍配信で新会社 年内開始へ
また、今日未明にリリースされた「産経新聞HD」のように iPhone 時代では見せびらかし以外に役に立たなかったものが、実用的に使えるなぁ…とは感じるのだけれども、単独で良いものが有ったとしても、iPad の電子書籍はまだユーザーニーズからは程遠い存在だ。
ちなみに「産経新聞HD」に関しては、紙面と比較してもかなり実用的かつ紙面と同じような読み方が可能なので有料化は当然だと思うが、月額1,500円は微妙すぎる。月額千円未満、もしくは駅売りと同じく1部105円が可能だったら話は違ったように思う。
というわけで、結局1ヶ月弱使ってきて、私にとって iPad が落ち着いた先は
より楽なモバイル PC 代わり+α
みたいになってきてしまっている。ホント予想外。
ただ、こうなるには「ノートPC を持って出ずに iPad だけで良いんじゃね?」ということに気づくキッカケが必要。逆に言えば、
本当にノートPC が必要なシーンの再確認
を自分に問うて見る必要がある。ここを誤ると、iPad 使えねー的な負のスパイラルに陥りやすい。加えて、
ノートPC 代わりに挑戦するのは iPad に少し慣れてから
特にタイピングに慣れてからにすべき
特にタイピングに慣れてからにすべき
である。タイミングを間違うと、やっぱり iPad 使えねーになるかもしれない。
ちなみに、iPad のタイピングのコツは、ただ一つ。
縦スタイルでも横スタイルでも10本の指を使うな
2〜4本指打法でタイプすべし!
2〜4本指打法でタイプすべし!
ということ。
最初は「iPad は横スタイルだとキーボードが普通のキーボードと変わらないサイズで快適です」的な謳い文句に騙されて、横スタイルで普通のキーボード感覚でタイプしようとしていたが、それだとミスタッチによる誤入力がやたら多くなってストレスが溜まりまくる。
ハードウェア・キーボードでなくタッチパネルによるソフトウェア・キーボードゆえ、普通のキーボード感覚だと、つい打鍵しない指もキーの上に下ろしてしまいがちになるが、それで誤入力が頻発することになる。
こちらも、ある時「横じゃなく縦画面でタイプしてみよう」と思って縦画面でタイプし始めたら、横幅の狭い縦画面のキーボードだと必然的に2〜4本指打法になり、タイピング速度そのものはやや落ちるものの、誤入力が減って結果的に速く、そしてストレスも減った。
おまけに縦画面の方が画面が広く使えるので、最近は横画面での文章入力はほとんどせず、もっぱら縦画面を使っている。そして、タイピングに慣れて、ちょっとくらいのメールの返事や、書類の草稿書き、アイデアまとめくらいはできるようになってくると、一気に iPad の実用化?が進む。
そして、iPad の携行率が高くなり、MacBook Air や VAIO P の携行率がグッと下がることになった…
ただ、iPad の携行率が高くなって「そういや、MacBook Air をしばらく持ち出してないなぁ」と気づいた時に、もう一つの重要なことに気づいた。
ノートPC だと隙間の時間でも積極的に何か手を動かしていたのに
iPad だと隙間の時間を生産じゃなく消費に当ててばかりじゃないか?
iPad だと隙間の時間を生産じゃなく消費に当ててばかりじゃないか?
これは別に iPad が悪いということではなく、純粋に自分自身の問題でもあるが、先にも書いた ON と OFF というか、iPad のリラックス感、悪い言い方するとダラけても使える道具ゆえに、そちらへ引きずられがちな自分がいた。
なんというか、ノートPC ではなく iPad を使っていると、やはり
iPad には、ノートPC を開いた時の「さて、やるか」感がない
のである。OFF から ON に切り替える、そんな瞬間が。
iPad は楽である。ノートPC でできることの多くができるわけじゃないが、一部は十分代替できることも判った。だけど、iPad は楽に使えて、自由なポジションで使えて、構えずに使えるからこそ、OFF → ON の切り替えを求める瞬間もない。
新幹線の中で、カフェで、ちょっとした時間にノートPC を開く瞬間が iPad に変わることで楽になったのは、そんなところの違いがあったのかもしれない。そんなことに、つい先日気づいた。
これはあくまで、超個人的な iPad 感であり、iPad とノートPC との差に関する体感である。自分が気をつければ済むことだし、今後は変わっていくかもしれない。
ただ、この1ヶ月 iPad を使ってきて、iPad を使うシーンが広がって、一番大きく感じたのがやっぱり
ノートPC の液晶を開くことで、パソコンはしっかり座って向きあうことで
ON/OFF の切り替えを要求するデバイスだったのかもなぁ…
ON/OFF の切り替えを要求するデバイスだったのかもなぁ…
ということだった。そして「iPad は本来 OFF の精神をもったデバイスでもあるのだな」とも。
さて、最後に1ヶ月使ってきて「iPad が必要かどうか?」という結論。
現状、なくても全然困らない
でも、ないと物足りない
一度使うと、もっと使いたくなる
でも、ないと物足りない
一度使うと、もっと使いたくなる
そんな感じ。
手元にはデスクトップPC もノートPC もネットブックも何台もある。そして iPhone もある。だから他人の参考にはならないだろうけれど、それでも「iPad は、もはや必需品だ」なんて、口が裂けても言えない。
なくて困るのは iPad ではなく MacBook Air であり iPhone。
iPad はなかったらなかったで、何とでもなる。iPad しか適当なデバイスがない電子書籍に、ある程度依存するようになれば別だろうが、今はそんなこともないから、別に iPad である必要な作業はどこにもない。
それでも、一度このデバイスを手にすると、iPad で楽にできることを知ると、やはり手放したくなくなる。
だから、やっぱりパソコンとスマートフォンに続く、第三の存在。良くも悪くも、予想した通り。そして、この先どうなっていくのかが楽しみである。