iPad 発表以降、色々と賛否両論言われている中で一致して良評価されてるのは、前回の記事で述べた値段くらいなものだろう。問題は、その値段で実現した「大きな iPod touch」が果たして買うに値するものか?果たして売れるのか?ということだろう。

各個人の評価基準が違うから iPad に賛否両論その他出るのは当然だし、その議論は発売以後も含めて当分続くであろう。肯定的に見る人と否定的に見る人では評価基準が違うのだから議論が収束するわけがない。収束するわけないと判っていながら楽しんでいる人も多いわけだが。

ともあれ、そんな「大きな iPod touch」に対して議論になるのは、いくつかの点がある。ザッと挙げてみると

  • iPod touch がデカくなっただけのモノに意味があるのか?

  • 値段が同じくらいならネットブックの方が使えるんじゃね?

  • パソコン用 OS じゃなくて制約の多い iPhone OS だなんて…

  • 相変わらず Flash 非搭載って…

  • iPad もやっぱりパソコンの母艦が必要というのは…


というところだろう。今回はそのあたりを自分なりの考えを、一応 iPad を買うつもりになった理由とともに書いてみたい。

なお、iPad の一つのウリであるはずの電子書籍的な部分については、とりあえず(ないものとして)横において考えることにしている。日本で電子書籍がマトモになる(ごく一部のコミックや書籍がテスト的に販売されるのではなく、新刊も含めて販売される)ことは当面ないと思われるので、今そんなことを織り込んでも仕方ない。

それゆえ、私は iPad に対して電子書籍云々は“そんな機能は持っていない”と考えて、その分の魅力を減じて評価している。まぁ、それでも買ってみようと思っているのだが。

ちなみに、個人的に電子書籍的な部分での考えを述べておくと、iPad のような液晶パネルでしっかり「本を読む」のは無理と感じている。「本を読む」なら iPad じゃなくて断然 Kindle(というか電子インク採用デバイス)だと思っている。

Kindle は一度見せてもらっただけだが、モノクロであることや動作速度その他に不満はあっても、電子インクは目の疲れ方が全然違う。Kindle こそが「本を読む」ためのデバイスだと感じた。液晶パネルでは「本を読む」のは辛すぎる(やったことがあれば判ると思うが…)。

ただし、液晶パネルは「雑誌を見る」「新聞を読む」程度なら悪くないどころか、むしろ綺麗なカラー表示という点でふさわしいだろう。が、いずれにしても日本では当分電子書籍が花開くことはないと思うから、そのことは考えないで話を進めることにする。



まず、「そもそも iPod touch がデカくなっただけのモノに意味があるのか?」というポイントだが、私は十分意味もあるし、需要はあると思ってる。

初代 iPod touch から iPhone 3GS をずっと使っていて、よく思うのは

モバイル時はこのサイズが良いけど
それ以外はやっぱり画面が小さすぎるよなぁ…


ということ。

まぁ、iPhone はモバイルで使うための物だから、iPhone が小さいことに文句を言う筋合いはないし、私も iPhone のサイズ自身は適正だと思っている。

しかし、iPod touch / iPhone を自宅や旅先のホテルその他のリラックス空間で使っていると、こういう時に使うにはちょっと小さいんだよな…そう感じたことがある人は決して少なくないと思う。ぶっちゃけ、

iPhone は手軽で良いけど、目に負担がかかりすぎる


のは否めない。

「そりゃお前がいい加減オッサン過ぎるからじゃね?」というのは否定しないが、年齢に比して細かい文字の羅列を追いかけるのは苦にならない方だと思ってるし、別に iPhone の文字の大きさは見えにくいわけじゃない。ただ、ずっと見てるとやっぱり目の負担が大きいし、

サイズ・重量が気になるモバイル利用時でないなら
サイズも画面解像度も一回りもふた回りも大きい方が便利じゃね?


ということは iPod touch / iPhone ユーザーだからこそ、判るのではないだろうか?逆に言えば iPod touch / iPhone を使ったことがなければ判りにくい、とも言える。

勿論、先にも書いたように、持ち歩いて出先で取り出して使うのに iPhone より大きく重いのは勘弁したい。iPhone のサイズは、気軽にポケットに入れてモバイル利用するのに割と限界のサイズだと思ってる。だから、モバイル利用でも液晶画面がデカい方が良いなんて全く思わない。

けれど、自宅内もしくは旅先のホテルとかでリラックスしている時に見るなら話は別。iPhone のサイズは、ちょっと小さすぎる。リラックスして使う時だからこそ、大きめサイズが良い。そういう需要は確実にあると思ってるし、なにしろ自分が実感している。

電子書籍ではないけれど、Good Reader アプリなどで PDF の資料などを入れておくことはある。iPhone のサイズだと、本当にちょっと特定部分を確認するだけ程度にしか使えない、いや使いたくない。

だが、iPad くらいのサイズになれば「資料を眺める、資料を読む」ということが可能になると思う。ノートパソコンの脇に iPad を立てかけて、資料を見ながら仕事するとかも有りだと思っている。

iPhone でまとまった文章は、「ちょっと見る」ことはできても「長文を読む」のは辛いように思う。ウェブのコラムを読むくらいまでが適正限界で、文庫本代わりにするのは正直ちょっとキツいと感じている。小さな画面で文字を読み取ることにパワーが割かれて、脳みそをしっかり働かせられない気がするのだ。

そうやって自分の iPod touch 〜 iPhone を使ってきて感じていることを思えば、画面が大きな「デカい iPod touch」には十分需要も利用価値もあると思っている。

ただ、前回記事の最後でも書いたように、iPad(タブレット)の必要性というのは携帯電話(スマートフォン)があって、パソコンがあって、その上でその隙間の部分にある。となれば、タブレットに需要や利用価値があっても、どこまで売れるかは不透明だけどね…

Apple iPad 9.7inch タブレット (仮称)


さて、前章では10インチクラスの液晶を持つタブレット/iPad の利用価値、需要があるだろうという考えを書いたけれど、その場合よく見かける反論?がある。

ネットブックなら同値段かそれ以下で、ずっと汎用性もあるし機能的にも上じゃん

と。確かにその通り。全くもって、その通りだ。

汎用性機能性を言ったら iPad がネットブックに勝てる要素はないに等しい。おまけにネットブックは、それで(とりあえずは)完結するが、iPad は母艦を必要とする。

「ネットブックだけ」「ネットブック+iPad」はあっても、「iPad だけ」はないのだ。

ただ、前章最後に書いたように、少なくとも現状の iPad は、携帯電話(スマートフォン)があって、パソコンがあって、さらに加えて、その隙間のニッチな部分をターゲットにしているものである。だから、

ニッチな用途を想定しているからこそ、
機能を絞ったセカンド PC ではない iPad が存在する余地がある


と思う。

私自身、今まで7〜10インチクラスの液晶を持つ各種ネットブックを何台も使ってきた、そして今でも、それぞれ特定の用途ではあるけれど、3台のネットブックを日常的に使っている私が、時々思うことがある。

ネットブラウズや資料(文章)を読んだり、ビデオを見るのに
ハードウェア・キーボード部分は要らなくね?


と。

もちろん全く文字入力の方法がないなら困りものだが、URL 入力する程度や検索語句を入れるくらいの、ちょっとしたタイプなら仮想キーボードでも全然余裕で賄えるのは iPhone その他でも判っていること。

最近じゃ Google アプリのように検索語句を音声入力するのも意外といける。iPhone でモバイル利用時に音声入力するのは恥ずかしいだろうけれど、自宅や旅先のホテルなど一人 or 家族しかいない場面で音声入力するのは、さして恥ずかしいことではない…かもしれない。まぁ慣れだ、慣れ(笑)

とにかく、みんな文字入力においてハードウェア・キーボードが一番便利なのは判っていても、その必要性が大きくない“ニッチ用途”に使うのだから、ハードウェア・キーボードを取っ払っても問題ないし、それでデバイスはグッと軽く薄くなるし、

ネットブラウズするなら液晶を縦にした方が便利かもなぁ…


ということに対して、キーボードの呪縛がなければ縦持ちも実現できる。

最近は横 1024pixels 程度を決めうちする馬鹿サイトも多いから、XGA 液晶で縦持ちだと横が少し足りない場合もあるが、iPhone のような縦横自由自在スタイルは、大きな液晶だからこそ便利になると iPod touch / iPhone ユーザーなら思わないのだろうか?iPhone じゃ横持ちしたら縦が狭すぎて使いにくいしね。

Apple iPad 9.7inch タブレット (仮称)


とにかく重要なことは、ネットブックと違って

「iPad(タブレットデバイス)が目指すものはノートPC の代用じゃない」

わけで、

「iPad とネットブックは同じ用途“も”カバーしているが、アプローチが全然違う存在」

ということ。それゆえ

タブレットとネットブックのどちらが正しい/良いわけではなく
使い方、好みによって選べば良い or 使い分ければ良い


存在と言える。優劣を競うものではない(まぁ当たり前のことだが)。

デスクトップPC はあるけどノートPC はない(欲しい)、とか、家族共用の PC はあるけど自分専用の PC はない、とか、そういうことならばネットブックを選んだ方が幸せになるだろう。でも、ノート PC も含めてパソコンはある程度間に合ってるし、スマートフォンもあるけど、その隙間が気になるなら iPad かもしれない。

と考えていくと、やっぱり(現時点では)ニッチなところを狙ってるなぁ、と思う。これがどこまで多くの人に、必要性を感じさせて買わせられるようになるかなぁ?という気はする。PC と iPhone と、そして…だからねぇ。

ただ、

キーボードの呪縛からユーザーも含めて取り払った先に何があるか?


というのは、まだ誰にも見えてない(Jobs には見えているのかもしれないが)。そして iPad を買った人間がそれぞれ、それを感じることになる。

「やっぱりデカい iPad touch でしかない。使えなくはないけどニッチすぎる…」
「ニッチだけど便利なこともあるし、これでこれでアリだね」
「タブレットならではのアプリもあるし、これからはコレだよ!」

どうなるか判らない。判らないから楽しみだ。だから、買いたい。

自分がどういう評価を下すのか判らないデバイスなんて
もう多くは出てこない時代だからワクワクしなくない?


ということだ。

TK-80 の頃からずっとマイコン・パソコンその他の歴史を見てきて、色々使ってすっかり年寄りになってしまっただけに、たいていの物は自分に合うかどうかは判るようになってきた。

だからこそ、自分がどういう評価を下すのか判らないデバイスは、たまらなく気になる。そして欲しくなる。

iPad を買いたい!そう思ったのは、それが理由。きっと、iPad ならではの、タブレットならでは、のアプリも出てくるはず。

「気に入りそうだから欲しい」よりも「気に入るかどうか判らないから試したい」の方が物欲は強くなる。

まったく、どうしようもない性分は、きっと死ぬまで治らないのだろうね…

(長くなりすぎたので、またまた続く…)