新年あけましておめでとうございます。本年もこの下らないブログを見てしまった人は、どうぞよろしくお願いします。
というわけで、2カ所ほどの新年更新作業を終えて必要なメールを送信したところ。更新作業自体はスクリプト処理を埋め込み済みだったので確認と後処理がほとんどで、どうということもなし。
ただ、いつもより早い晩飯を食って、さらに年越しそばを久しぶりに食って(どれくらいぶりだろう?)、その後はちょこちょこと仕事しながら普段は飲まないアルコールを3缶も空けてしまい、予定外にホロ酔い加減だったので、そこだけは注意した。
でもって表題の件だけど、ここ数年は自宅で年越しをすることが多くなった。小学校5〜6年の頃から何年か前までは、年越しの瞬間に自宅にいたことなどほとんどなかったが、近年は仕事もあったりで家にいることが多くなった。まぁ、一緒に馬鹿しながら年越しできる人間が減ったとも言えるわけだが。
ともあれ、最近年越しを自宅で迎えることが多くなって思うのは、年越しのテレビはNHKの「ゆく年くる年」に限るなぁ…ということだ。一番風情がある。というか、NHKの「ゆく年くる年」しか風情がない。あとは喧しいだけだ。NHKはなくなって結構!と思ってるくらいだし、紅白なんか心底どうでもいいが、「ゆく年くる年」だけは別だ。
そんなことを言ってる私も、昔はNHKの「ゆく年くる年」は好きじゃなかった(紅白なんて昔から論外だ)。というか、NHK以外の「ゆく年くる年」も含めて好きじゃなかった。
今はもう昔の話になってしまったが、以前は年越しの瞬間は全局「ゆく年くる年」だった。NHKの「ゆく年くる年」と、NHK以外の民間局の「ゆく年くる年」の2種類だけ。それ以外は放送してなかった。ま、かれこれ20年近く前の話だから、今の十代はもちろん、二十代でも覚えてない話になってしまうけれど、それが年越しのテレビだった(80年代終わりまでそうだったんだよねー)。
小さい頃からそれが嫌で、至極つまらないものに感じていて、小学校の頃から大晦日の晩は友達と一緒に出かけていた記憶がある。義務教育な頃であろうと、初詣という大義名分で、堂々と徘徊できる夜でもあったしね(昔は今ほど深夜は人がいなかったものだ。深夜のテレビ放送もずっと少なかったし)。それはその後も変わらなかった。
でも、ふと久しぶりに年越しのテレビを見るようになり、民放が各局自由に、でも何の情緒もない年越し番組を流しているのを見ていると、NHKの昔に近い「ゆく年くる年」が貴重な存在に見えてくる。NHKの「ゆく年くる年」も昔に比べれば、くだけた感じになっているように思うが(司会のせいか?)、年越しというイベントの情緒は唯一残しているように思う。
そう感じるのも歳食ったせいかな…?と思ったけれど、たぶん単に私自身が天の邪鬼だからに過ぎないだろう。昔の画一的な放送の頃にはそれに反発し、今は逆に昔ながらを贔屓にするのは、天の邪鬼な性格が思わせているに違いない。
そんな中、今も昔も変わらず好きなのは、百八つの鐘の音。
あの鐘の音は心に響くものがある。自分が日本人だな…と感じる瞬間の一つかもしれない。今になってNHKの「ゆく年くる年」を贔屓するのも、除夜の鐘の音を静かに流してくれるからだろうと思う。
なんてことを言ってるけれど、新年を迎えた直後にはテレビを消して、いつものようにヨーロッパの DJ Mix サイトの streming 垂れ流ししているわけだけどね。新年を迎えるまでは除夜の鐘は聞いていたいけれど、新年になって最後の鐘が鳴り終わったら、何の余韻も必要ない。新年は元々嫌いだ。年末は好きだ。
ところで大晦日のテレビだが、自宅に戻って夜9時から、ふと録画している「ガキの使い」特番を見てしまった。ハッスルは9時半からだし、ほんの触りだけでも…と思っていたら1時間笑いっぱなしだった。で、全く仕事にならないので、そこで一旦テレビ OFF して仕事。その後、相変わらず下らなさ only なハッスルを見つつ晩飯→年越しそば→酒飲んで「ゆく年来る年」→仕事だった。やっぱ、こういう年越しはつまらんな…
とまぁ、新年一発目から意味不明にダラダラと書き連ねるだけのブログであることは、旧年同様でございます。酒に酔った勢いというのもありますが、書く内容が今年も変わらないのは間違いありません。そんなので良ければ、今年もよろしゅう。
というわけで、2カ所ほどの新年更新作業を終えて必要なメールを送信したところ。更新作業自体はスクリプト処理を埋め込み済みだったので確認と後処理がほとんどで、どうということもなし。
ただ、いつもより早い晩飯を食って、さらに年越しそばを久しぶりに食って(どれくらいぶりだろう?)、その後はちょこちょこと仕事しながら普段は飲まないアルコールを3缶も空けてしまい、予定外にホロ酔い加減だったので、そこだけは注意した。
でもって表題の件だけど、ここ数年は自宅で年越しをすることが多くなった。小学校5〜6年の頃から何年か前までは、年越しの瞬間に自宅にいたことなどほとんどなかったが、近年は仕事もあったりで家にいることが多くなった。まぁ、一緒に馬鹿しながら年越しできる人間が減ったとも言えるわけだが。
ともあれ、最近年越しを自宅で迎えることが多くなって思うのは、年越しのテレビはNHKの「ゆく年くる年」に限るなぁ…ということだ。一番風情がある。というか、NHKの「ゆく年くる年」しか風情がない。あとは喧しいだけだ。NHKはなくなって結構!と思ってるくらいだし、紅白なんか心底どうでもいいが、「ゆく年くる年」だけは別だ。
そんなことを言ってる私も、昔はNHKの「ゆく年くる年」は好きじゃなかった(紅白なんて昔から論外だ)。というか、NHK以外の「ゆく年くる年」も含めて好きじゃなかった。
今はもう昔の話になってしまったが、以前は年越しの瞬間は全局「ゆく年くる年」だった。NHKの「ゆく年くる年」と、NHK以外の民間局の「ゆく年くる年」の2種類だけ。それ以外は放送してなかった。ま、かれこれ20年近く前の話だから、今の十代はもちろん、二十代でも覚えてない話になってしまうけれど、それが年越しのテレビだった(80年代終わりまでそうだったんだよねー)。
小さい頃からそれが嫌で、至極つまらないものに感じていて、小学校の頃から大晦日の晩は友達と一緒に出かけていた記憶がある。義務教育な頃であろうと、初詣という大義名分で、堂々と徘徊できる夜でもあったしね(昔は今ほど深夜は人がいなかったものだ。深夜のテレビ放送もずっと少なかったし)。それはその後も変わらなかった。
でも、ふと久しぶりに年越しのテレビを見るようになり、民放が各局自由に、でも何の情緒もない年越し番組を流しているのを見ていると、NHKの昔に近い「ゆく年くる年」が貴重な存在に見えてくる。NHKの「ゆく年くる年」も昔に比べれば、くだけた感じになっているように思うが(司会のせいか?)、年越しというイベントの情緒は唯一残しているように思う。
そう感じるのも歳食ったせいかな…?と思ったけれど、たぶん単に私自身が天の邪鬼だからに過ぎないだろう。昔の画一的な放送の頃にはそれに反発し、今は逆に昔ながらを贔屓にするのは、天の邪鬼な性格が思わせているに違いない。
そんな中、今も昔も変わらず好きなのは、百八つの鐘の音。
あの鐘の音は心に響くものがある。自分が日本人だな…と感じる瞬間の一つかもしれない。今になってNHKの「ゆく年くる年」を贔屓するのも、除夜の鐘の音を静かに流してくれるからだろうと思う。
なんてことを言ってるけれど、新年を迎えた直後にはテレビを消して、いつものようにヨーロッパの DJ Mix サイトの streming 垂れ流ししているわけだけどね。新年を迎えるまでは除夜の鐘は聞いていたいけれど、新年になって最後の鐘が鳴り終わったら、何の余韻も必要ない。新年は元々嫌いだ。年末は好きだ。
ところで大晦日のテレビだが、自宅に戻って夜9時から、ふと録画している「ガキの使い」特番を見てしまった。ハッスルは9時半からだし、ほんの触りだけでも…と思っていたら1時間笑いっぱなしだった。で、全く仕事にならないので、そこで一旦テレビ OFF して仕事。その後、相変わらず下らなさ only なハッスルを見つつ晩飯→年越しそば→酒飲んで「ゆく年来る年」→仕事だった。やっぱ、こういう年越しはつまらんな…
とまぁ、新年一発目から意味不明にダラダラと書き連ねるだけのブログであることは、旧年同様でございます。酒に酔った勢いというのもありますが、書く内容が今年も変わらないのは間違いありません。そんなので良ければ、今年もよろしゅう。